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梅の歴史

え!そんな昔から?梅の歴史

1日に2~3粒食べるだけで、いいことだらけの梅干。
昔から、言い伝えてでいいと言われてきた効用も今では化学的にも立証されています。
あんなことも、こんなことも梅干で解決!梅に込められた「すごいチカラ」を紹介いたします。

今から約1250年ほど前の奈良時代(!)。
当時は、お菓子というとむし菓子や干菓子のことではなくて、果物のことを生菓子としていたそうです。そうした中で、梅は「木の実・果物」に分類され、桃やびわ、梨などと一緒に生菓子として食べていました。

平安時代中期に、医師である丹波康頼が著した日本最古の医学書である『医心方』では、中国や朝鮮の医薬書からの引用で、「梅干」の効用がとりあげられています。

鎌倉時代の武家社会のおもてなしは「椀飯」と呼ばれ、クラゲ・打ちアワビなどに梅干や酢・塩が添えられた御馳走をふるまうことでした。また、兵士の出陣や凱旋の時に縁起がいい食べ物として、禅宗の僧侶は茶菓子として梅干は重宝されていました。

戦国時代では、武士たちが塩漬けした梅を解毒剤として食したことで武家社会でもおもてなしの特別な物から急速に普及しました。
さらに、戦に駆り出される農民兵士に梅を薬として支給されたことで庶民も梅干を口にするようになります。戦場で梅干を摂取すると、息切れを整えたり、生唾を飲んだ時の殺菌用にと多いに役にたちました。

江戸庶民の間で梅干をお茶に入れて飲む「福茶」が流行。これを受けて、需要はますます多くなり、特に紀州藩(現在の和歌山)の梅干は「田辺印」として評判でした。田辺・南部周辺の梅が沢山樽詰めされ、江戸にむけて田辺港から出荷されました。

明治時代に、和歌山で伝染病であるコレラが発生し、沢山の死者がでました。この時、梅干の殺菌力が見直され需要が急増しました。
また、この時代におこった日清戦争時に、軍医である築田多吉が外地で伝染病にかかった兵士に梅肉エキスを与えて完治させました。

食や薬用としてもさることながら、万葉のうたに登場したり、梅の花が家紋に使われたり…と、こういうとこりから見ても、私たちの暮らしと深い関わりを持つ梅干。
目にも楽しい、カラダにもうれしい梅。これからも私たちの生活には欠かせない存在になると思われます。

最近発表された新しい効用については、「梅のチカラ」で詳しく紹介いたします。

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